【忘備録】2泊3日の大阪観光後編、露天神社と大阪天満宮と絶品ネギ焼き。

こんにちは。おわっっ(@rk_owaaa)です。

 

先日、2泊3日で大阪を中心に観光してきました。忘備録がてらに写真とともに振り返りたいと思います。

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【忘備録】2泊3日の大阪観光前編、太陽の塔と宝塚歌劇と大阪夜景観光バス。

 

■3日目最終日(3月23日)

宿泊先から梅田へ。地下街と地上を歩いて10分ほど。「露天神社(つゆのてん)」へ。

社伝によると、当社は上古、大阪湾に浮かぶ小島の一つであった現在の地に、「住吉須牟地曽根ノ神」を祀り御鎮座されたと伝えられており、「難波八十島祭」(注1)旧跡の一社である。曽根崎(古くは曽根洲と呼ばれた)の地名は、この御神名によるとされている。
創建年代は定かではないが、「難波八十島祭」が文徳天皇の嘉祥3年(850年)にまで遡ることができ、6世紀の欽明天皇の頃には形が整っていたとされることから、当社の起源もその頃と推察できる。なお、承徳元年(1097年)に描かれた「浪華の古図」には、当社の所在が記されている。
南北朝期には「曽根洲」も漸次拡大し、地続きの「曽根崎」となった。この頃、北渡辺国分寺の住人・渡辺十郎源契(河原左大臣源融公十一世渡辺二郎源省の末)や渡辺二郎左衛門源薫ら一族が当地に移住し、田畑を拓き農事を始め、当社を鎮守の神とし曽根崎村を起こした。
以後、明治7年(1894年)の初代大阪駅、明治38年の阪急電鉄梅田駅の開業などとともに地域の発展に拍車がかかり、当社も大阪「キタ」の中心、梅田・曽根崎の総鎮守として崇敬を集めるに至っている。

露天神社-由緒についてより引用

全国に136箇所ある恋人の聖地でもある。

上の写真にあるように、この露天神社は通称:お初天神 と呼ばれ、近松門左衛門の人形浄瑠璃「曽根崎心中」の舞台になった場所でもある。

「お初天神」の名で広く知られる当神社は、正式名称を露 天神社(つゆのてんじんしゃ)といいます。元禄16年(1703年)に当神社の境内で実際にあった心中事件を題材に、近松門左衛門が人形浄瑠璃「曽根崎心中」を書きました。以後、そのヒロインの名前「お初」にちなんで「お初天神」と呼ばれるようになったのです。
「曽根崎心中」は、元禄16年4月7日に起こった、堂島新地天満屋の遊女「お初」と内本町平野屋の手代「徳兵衛」が当神社の「天神の森」にて情死した事件をもとに、近松門左衛門が劇化したものです。この作品は当時の人々の間で大評判となり、当神社にも参詣回向の老若男女が大勢押しかけたといわれています。
広く民衆の涙を誘うこの作品はその後も繰返し上演され、今日でも回向とともに、恋の成就を願う多くの人々が訪れています。なお、昭和47年7月、曽根崎中1丁目の有志によって、恋に殉じた二人を慰霊するための「曽根崎心中 お初 徳兵衛 ゆかりの地」という石碑が建立されました。
二人の300回忌の後、氏子の一人が「お初さんのために」と100万円の寄付がありました。それをきっかけに、地元の商店街などから寄付金が寄せられ、平成16年4月にブロンズ像が製作されました。

「露天神社」と、近松門左衛門「曽根崎心中」についてより引用

境内には多数の美人祈願の絵馬が。

縁結びの神社として親しまれているだけに、お守りの種類はよりどりみどり。(中略)恋愛成就の絵馬には、お初と徳兵衛のイラスト入りのハート形のものも。最新作は美人祈願の絵馬。顔のないお初のイラストに自由に顔を描いて、真の美人になれるよう祈願しましょう。

社殿の裏にある森を隙間から見て、思いを馳せながら露天神社を後にする。

 

露天神社から北西に徒歩30秒ほどの所にある「鳴門鯛焼本舗 曽根崎店」で鳴門金時いも 天然たいやきを食らう。とんでもなく甘いがその甘さは上品。舌にしっとりと混ざり合い芋の風味が広がる。非常に美味しかったです。

 

30分ほど歩いて「大阪天満宮」に向かう。天神橋商店街の参詣道を進む。

大阪天満宮。年が明けて読んだ時代小説「銀二貫」のメインと言っても良い場所。何度も大火で消失するが、大坂の商人たちは天神様と崇めその度に建て直す。現在の本殿は、天保14年(1843年)に再建されました。 

奈良時代 白雉元年(650年)孝徳天皇様が難波長柄豊崎宮をお造りになりました頃、都の西北を守る神として大将軍社という神社をこの地にお祀りされました。
以来この地を大将軍の森と称し、又後には天神の森ともいわれ、現在も南森町北森町としてその名を残しております。
平安時代延喜元年(901年)当宮の御祭神である菅原道真公は太宰府へ向かう途中この大将軍社をお参りになり旅の無事を御祈願なされました。
その後道真公は、太宰府において、お亡くなりになり、その50年あまり後の天暦三年(949年)この大将軍社の前に一夜にして七本の松が生え、夜毎にその梢を光らせたと申します。
これをお聞きになりました村上天皇様は、勅命によって、ここにお社をお建てになり、道真公のお御霊を厚くお祀りされました。
以来、一千有余年、氏子大阪市民はもとより広く全国より崇敬を集めています。

大阪天満宮についてより引用

この地には数年前に来たことがあったが、その時には無かった感情。銀二貫自体はフィクションではあるが、史実に基づいて書き下ろされている。商人、そして大坂に生きてきた人たちの歴史を感じながらこの時代に生かされている意味を考えたり。

 

南に歩くと天神橋。ここも銀二貫で何度も出てくる重要な場所。当時は当然木造。何度も焼失したり、火が渡ってきたり。そしてここまで橋幅も広くは無かっただろう。

天神橋を渡り切ると東には八軒家浜。当時はここから京都・伏見を結ぶ発着場で、江戸時代に八軒の船宿があったからこの名前になったとか。今では大阪水上バス アクアライナーの船着場になっている。

八軒家浜の東隣には天満橋。

梅田駅に戻り、地下街の「ヨネヤ」さんで串カツ。

阪急を乗り継いで、阪神競馬場へ。地下道には武豊騎手JRA4000勝の壁写真が。

毎日杯のパクスアメリカーナの逃げ切りを見て、離脱。

新大阪駅へ移動。夕食は新大阪駅東口から徒歩1分にある「串カツとお好み焼き 秀月(しゅうげつ)」さんへ。

大阪名物ネギ焼きと秀月いちおし!ふわふわ卵、串カツを注文。18時開店で予約のお客さんが我々含め3組。そしてすぐに満席になるほど。大将1人で切り盛りしており、この大将がthe大阪人な気のいい大将で楽しい。


注文分、一気に焼き上げる。


大阪名物ネギ焼き。


ふわふわ卵。

非常に美味。とても満足です。また来たい!そう思える素晴らしい店でした。

 

帰りは夜行バスなので、乗車までは時間がまだある。乗車場所は北新地なので、北新地周辺をフラフラ。地下街が非常に栄えており、なんだかフラフラしているとお腹が空いてきたので大阪駅前第3ビル内「クークー(COO-COO)第三ビル店」で380円カツ丼を食らう。

 

更に堂島周辺をウロウロ。「国産ビール発祥の地」碑を発見。

このまま夜行バスに乗車。翌日 東京駅八重洲口に到着し、この旅も楽しく終えました。

次はどこに行こうかな。

 

おわり。

 

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